本コインは、1792年フランス第一共和政期にパリで鋳造された試作5ソル銀貨(Mazard 365a / Guilloteau 356)であり、PCGSによってSP63(Specimen Strike)の高評価を受けた、極めて希少な銀製見本打ちエッセイ(試作貨幣)です。
重量は約31.07グラム、直径は約38ミリと、当時としては異例の大型かつ精緻な仕様を誇ります。これは、新たな共和国体制下における貨幣制度改革の一環として製造された、技術・思想の両面において革新的な試験鋳造品であり、革命期フランスの理想と技術革新を象徴する逸品です。
現存数は極めて限られており(R4指定)、本品は世界でも数点しか確認されていない中でも、PCGS認定における唯一のSP63評価個体(2024年時点)として、市場でも群を抜いた存在感を放ちます。
その歴史的背景、技術的意義、美術的完成度から見ても、本コインはRepublican Numismatics(フランス共和政コイン史)において極めて高い資料価値と収集価値を備えた傑作是
歴史的背景
1792年はフランス史において革命的転換点であり、王政(ブルボン朝)が廃止され、国民主権に基づく「第一共和政(Première République)」が樹立された年です。これに伴い、従来の国王肖像や王家の紋章を刻んだ貨幣は排除され、代わって自由の女神(マリアンヌ)、ファスケス(束桿)、フリギア帽、英雄ヘラクレスなど、共和制の理念と古典的象徴を融合させた新しい意匠がコインやメダルに用いられるようになりました。
同年、革命政府によって「共和暦(Calendrier républicain)」が制定され、これが共和暦元年(An I)とされました。
本コインにも、「L’AN 4 DE LA LIBERTÉ(自由暦4年)」および「L’AN I DE LA RÉPUBLIQUE(共和国元年)」という2種の年号が刻まれており、これは旧暦と新暦の移行期特有の表記です。加えて、1790年代前半のフランスは貨幣改革にも着手しており、旧来のリーヴル・ソル・デニエ制から十進法への移行が進められました。
1793年8月には、1リーヴル = 10デシム = 100サンチームという十進体系が決議され、1795年8月15日(共和暦熱月28日)の法令により、正式に新通貨単位「フラン(Franc)」が導入されました。
この新制度では、1フラン銀貨は純度90%(Ag900)、重量5.0gと定められ、長くフランスの基軸通貨となります。以後、ソル貨(sou)は徐々に廃止され、1フラン = 100サンチームの体制が整備されました。
本コインが鋳造された1792年は、こうした制度的・思想的な移行期にあたっており、旧通貨体系と新共和体制のはざまで試験的に製作された見本貨幣として、その存在自体が極めて歴史的意義を持ちます。
表面(オブバース)
本コインの表面には、フランス共和国を擬人化した「自由の女神像」が威厳ある古典的スタイルで描かれています。
女神は左向きに腰掛け、右手には平和の象徴であるオリーブの枝を掲げ、左手にはフリギア帽(自由の帽子)を先端に載せた槍を携えています。
このフリギア帽(bonnet phrygien)は、古代ローマで奴隷解放の象徴とされ、18世紀後半には自由と革命精神のアイコンとしてフランス革命の視覚的象徴となりました。
女神が寄りかかる背後の台座には、ファスケス(fasces)が彫刻されています。ファスケスは、複数の棒を束ねた上に斧刃を付けたもので、古代ローマの執政官が権威の象徴として携えたものです。ここでは「団結による力」「法と秩序」「共和国の不可分性」を示すモチーフとして用いられています。
また、女神の座る台座の正面には、直角三角形(エクイティ=égalité)のマークが刻まれており、「平等」や「理性」を象徴する幾何学的なモチーフとしてフランス革命期によく使われました。これは革命理念のうち「自由・平等・友愛(Liberté, Égalité, Fraternité)」の中でも、「平等(égalité)」を強調する意匠と読み取れます。
足元右側には、コルヌコピア(豊穣の角)が描かれ、そこから葡萄や果実があふれ出ている様子が精緻に表現されています。これは国家による経済的繁栄や民衆の豊かさへの希望を象徴しています。
革命理念を体現した視覚構成
この表面の図像は単なる美術的意匠ではなく、
「自由」=フリギア帽と女神、
「平等」=三角定規、
「統一」=ファスケス、
「平和」=オリーブの枝、
「繁栄」=コルヌコピア
というように、フランス革命の基本理念を象徴体系として統合的に表現した視覚設計是
特に、人物肖像(国王や皇帝)を排除し、抽象的・普遍的な価値観を女神像と象徴記号によって伝えるスタイルは、第一共和政下の貨幣・メダルに共通する思想的特徴であり、本コインもその最初期の表現例として高い意義を持ちます。
裏面(リバース)
裏面の銘文と技術的意義
本コインの裏面には、図像ではなく複数行にわたるフランス語銘文が刻まれており、これは単なる説明ではなく、当時の最新鋳造技術を誇示する革新的試作貨幣(エッセイ)としての役割を担っています。
中央の銘文(縦書き8行)は次のように記されています。
PIÈCE FRAPPÉE PAR LE MOYEN DE LA VIROLLE,
PROPRE À PERFECTIONNER LES MONNOIES.
L’AN Iᵉʳ DE LA RÉPUBLIQUE.
(和訳:ヴィロル方式によって打刻された、貨幣を改良するのに適したコイン。共和国元年。)
これに加えて、周囲の円周部(周縁文字)には、
INVENTÉE PAR BREZIN À PARIS 1792
(1792年、パリにてブレザンにより発明)
と記され、さらに下部には「L’AN I DE LA RÉPUBLIQUE(共和国暦元年)」と年号が刻まれています。
技術的意義:ヴィロル(カラー)方式による近代化
この銘文が示す通り、本コインは機械工・発明家ミシェル・ブレザン(Michel Brézin)によって設計された、“ヴィロル式打刻”技術の実演・宣伝を目的とした見本打ちコイン是
ヴィロル(virole)とは、鋳造時にコインの周囲を覆う金属リング(カラー)のことで、ブレザンはこれを用いた表裏面と側面(エッジ)の同時打刻を行うことで、コインの品質を大幅に向上させることを目指しました。この方式では、従来のようにコインの縁文字を別工程で刻印する必要がなくなり、完全な円形と一体成型による高精度打刻が可能となります。これにより、「偏心」「エッジずれ」「剪断歪み」といった問題が解消され、鋳造効率と美観が大幅に向上しました。実際、本コインにもレタード・エッジ(文字入り縁)が施されており、ブレザン技術の成果が物理的に確認できます。これにより、当時としては画期的な造幣技術のプロトタイプであったことが裏付けられます。
技術史的背景と評価
ただし、ブレザンの技術そのものが完全な独創であったかという点については、近年の研究で一部再検証されています。
16世紀末のフランス(A.オリヴィエ)や18世紀末のイギリス、J.-P.ドロス(Jean-Pierre Droz)など、ブレザン以前にも類似したカラー打刻技術は存在しており、特にバーミンガムのソーホー造幣局ではすでに高度な蒸気式鋳造が実用化されていました。しかしながら、ブレザンの功績は、これらの技術を革命政府下のパリ造幣局で制度化・改良しようとした点にあり、彼は1792年に複数の試作貨(エッセイ)を制作。その一部が本コインとして現存しています。
また、同年以降に実施された造幣技術改良コンペ(Concours Monétaire)では、結果的にブレザンの方式は採用されず、同僚フィリップ・ジャンジャンブル(Philippe Gengembre)の技術が主流となりますが、ブレザンの名はフランス貨幣技術革新の先駆者の一人として高く評価されています。
意匠としての「銘文デザイン」
本コインは、図像を用いずにテキスト(銘文)のみで技術と理念を伝えるという点で極めてユニークです。
これは当時のエッセイ貨幣における例外的な構成であり、
革命期の合理主義
技術進歩への信仰
職人の署名とその誇り
が、すべてこの裏面の構成に凝縮されています。
本コインはまさに、「技術革新をメダル化した試作貨」であり、貨幣としての機能に加え、共和国初期における制度改革・技術進歩の思想的象徴としても高く評価されるべき一枚です。