1796年、スイスの都市国家ジュネーヴ共和国で発行された12フローリン大型銀貨。
フランス革命の影響下にあった同共和国が、自由・平等・信仰の理念を金属上に刻んだ象徴的な貨幣である。
表面にはジュネーヴの紋章(鷲と聖ペテロの鍵)がオークと月桂の冠に囲まれ、共和政を示す銘文「GENEVE REPUBLIQUE」と「L’AN V DE L’EGALITÉ(平等の第5年)」が配される。裏面には宗教改革以来の都市モットー「POST TENEBRAS LUX(闇の後に光あり)」の言葉と、放射状の光に包まれたキリスト聖名「IHS」が浮かび上がる。啓蒙思想期における信仰と理性、宗教と政治の調和を象徴する造形であり、近代都市国家ジュネーヴの自己表現として完成された意匠といえる。
本コインはPCGSによりMS63の評価を受け、現存する中で唯一のTop Pop(単独最高鑑定)として登録されている。
鏡面に近い柔らかな銀光を残し、放射線条の一本一本が極めて明瞭に立つ打刻精度を保持。特に「POST TENEBRAS LUX」の光輪が完全に残る個体は極端に少なく、未流通の状態でここまでの立体感を維持するものは稀にしか確認されない。
宗教改革の都ジュネーヴが、啓蒙思想と共和主義を融合させた時代精神を最も純粋な形で伝える歴史的遺品であり、本品はその頂点に位置する一枚である。
表面(オブバース)
中央には、ジュネーヴ共和国の紋章が堂々と刻まれている。
左側には翼を広げた鷲、右側には聖ペテロの鍵。両者は半円状の境界線によって分かたれながらも、ひとつの盾の中で調和を保つ構図となっており、「宗教的権威」と「市民的自治」という二つの理念の均衡を象徴している。鷲は自由と独立の精神を、鍵は信仰と秩序を表し、これは中世以来ジュネーヴが守り続けてきた「教会と市民の共存」という伝統を可視化した意匠である。
外周の銘字「GENEVE REPUBLIQUE」は、フランス革命の影響を受けて成立した共和政体を示し、「L’AN V DE L’EGALITÉ(平等の第5年)」は革命暦による1796年を指す。
この「平等の年」という表現は、身分制度を廃した市民平等の理念を象徴しており、当時のジュネーヴがヨーロッパの中でも先進的な啓蒙都市であったことを物語っている。
紋章を囲むオークと月桂の冠は、それぞれ共和政の徳と勝利を寓意する古典主義的なモチーフである。葉の一枚一枚にまで細かな線刻が施され、枝の重なりも立体的に表現されており、熟練した彫刻師の高度な技量がうかがえる。
打刻は深く力強く、鷲の羽根や鍵の装飾細部に至るまで鮮明に残る。銀地のフィールドには柔らかな金属光沢が宿り、200年以上を経た今日でも均整の取れた構図美を保っている。
宗教改革の都としての精神と、啓蒙期共和国としての誇り。その二つの理念が一枚の紋章に融合したこの面は、ジュネーヴという都市国家の象徴そのものである。
裏面(リバース)
中央には、キリスト聖名を示すモノグラム「IHS」が刻まれ、その上に半円形の横棒が置かれている。周囲からは無数の光線が放射状に伸び、面全体を覆うように輝きを放つ。この放射は単なる装飾ではなく、「啓示」「再生」「啓蒙」を象徴する宗教的モチーフであり、信仰の光が闇を照らすという思想を視覚的に表している。
外周銘文「POST TENEBRAS LUX(闇の後に光あり)」は、16世紀の宗教改革以降、ジュネーヴが掲げてきた都市のモットーである。カトリックの暗黒時代を経て、真理の光が再び差すという意味を持ち、プロテスタント都市としてのアイデンティティを明確に宣言している。1796年の時点でこの言葉を貨幣上に復刻したことは、フランス革命後の混乱の中でもなお、ジュネーヴが自らの精神的ルーツを見失わなかった証である。
下部には「XII FLORINS 1796」と「IX SOLS」の額面表記が並ぶ。これは当時の貨幣制度における換算関係を示したもので、ターラーとフローリンの価値体系を併記する実務的デザインでもあった。
大きく放射する光条と端正なラテン銘文の構成は、宗教的象徴と啓蒙期的理性が同居する独特の美学を形成しており、ジュネーヴ共和国が自らの信仰と政治理念をどのように調和させようとしたかを雄弁に語る。
MS63グレードにおける本コインでは、光線の一本一本が鮮明に立ち上がり、IHSの周囲には鏡面のような輝きがわずかに残る。多くの個体で磨耗する放射線端部や銘文字も明瞭で、「POST TENEBRAS LUX」の語が完全な姿を保っている点は特筆に値する。
視覚的にも宗教的にも、光そのものが主題となったこの面は、ジュネーヴという都市の精神的自画像であり、「啓蒙の時代」における信仰の再定義を物語る。
歴史的背景
18世紀末、スイス西端の都市国家ジュネーヴ共和国は、ヨーロッパ全体を揺るがせたフランス革命の波を真正面から受け止める立場にあった。宗教改革の聖地として独自の精神文化を築き上げてきたこの都市は、政治的にも宗教的にも「自由」「信仰」「平等」を根幹とする共和国として、時代の変革を象徴する存在であった。
1792年、フランス革命の理念に共鳴した市民運動が高まり、貴族的支配体制が崩壊。翌年には旧来の統治評議会が廃され、共和政の樹立が宣言された。
この1796年銘の大型銀貨は、まさにその新体制のもとで発行されたものであり、銘文「L’AN V DE L’EGALITÉ(平等の第5年)」が示すように、革命暦に基づいた独自の時代表記が採用されている。
この表記は単なる年号ではなく、「封建制からの解放」「市民の平等」「理性の時代への転換」を象徴する政治的メッセージであった。
しかし、ジュネーヴ共和国の独立は長くは続かない。1798年、フランス軍の進駐によって同国は併合され、「レマン県(Département du Léman)」として再編される。
ゆえに、この1796年のターラーは、独立共和国としてのジュネーヴが自らの理念と誇りを公式に刻んだ最終期の貨幣群にあたる。
その意匠に「POST TENEBRAS LUX(闇の後に光あり)」という宗教改革以来の標語を掲げたことは、政治的主権を超えて、精神的自治を守る意思の表明でもあった。
啓蒙思想と宗教改革の精神が同一の硬貨上で共存するこの作品は、単なる通貨ではなく「時代の証言」である。
政治的自由と信仰的光明という二つの理念が、都市国家ジュネーヴの中でひとつに融け合った結果生まれたこの銀貨は、18世紀ヨーロッパの精神史を映す鏡といえるだろう。
市場評価
ジュネーヴ共和国の貨幣群の中でも、1796年銘の12フローリン銀貨は突出した人気を誇る。理由は明確である。デザインの完成度、思想的深み、そして現存数の少なさ。その三点が揃っているからだ。
まず、このシリーズの中で未使用(Mint State)グレードの個体は極めて少なく、ほとんどが流通痕を伴う。大きな放射線を持つ裏面デザインは摩耗しやすく、打刻時の圧力不足や経年の擦過により、光条先端が欠けることが多い。したがって「POST TENEBRAS LUX」の文字が完全に残る個体は非常に限られており、条件稀少性が本コインの価値を決定づけている。
本品はPCGSによりMS63の評価を受け、かつ現存する中でTop Pop(単独最高鑑定)として登録されている。
未使用帯の中でもフィールドの艶、打刻の深さ、トーンの均質さに優れた個体は少なく、特に放射線条の一本一本が明瞭に立ち上がる点はこのグレードの中でも際立つ。こうした個体は、視覚的にも象徴的にも「光のコイン」と呼ぶにふさわしい存在感を放つ。
市場動向としては、スイス・カントン期の大型銀貨は近年再評価が進んでおり、ヨーロッパ都市国家シリーズを中心に堅調な上昇傾向を示している。特に「宗教改革」「啓蒙思想」「都市共和国」を主題とする作品群は、思想的背景を重視するコレクター層から支持が厚い。
過去数年の欧州オークションを見ても、未使用級が出現する頻度は稀であり、MS63以上の個体は数年に一度しか市場に姿を見せない。
本コインは、思想・造形・保存の三拍子が揃った稀有な例であり、単なる地域貨幣を超えて「ヨーロッパ精神史を象徴するメダリック作品」としての地位を確立している。
ジュネーヴ共和国の自由と信仰の光を永遠に閉じ込めたこの一枚は、今後も市場で特別な位置づけを保ち続けるだろう。
希少性
1796年銘のジュネーヴ共和国12フローリン銀貨は、現存数自体が少ないうえ、状態による格差が極端に大きいことで知られる。特に放射線条や銘字の摩耗が避けられないため、真に未流通と呼べる個体は極めて稀少である。流通品の多くは光条先端の摩耗や中心部の打ち抜けを伴い、均整の取れた打刻を保つものはわずかに限られている。
PCGSおよびNGCにおける登録数を総合しても、Mint State評価は一桁台〜十数枚規模に留まり、MS63以上のグレードはごく少数。なかでも本コインは**Top Pop(単独最高鑑定)**として登録され、現存中最良の保存状態を示す個体である。
フィールドの光沢、打刻の深度、トーンの均質さ、いずれを取っても鑑定基準を超えて均整がとれており、条件面での完璧さがこの希少性を裏づけている。
さらに、宗教改革の標語「POST TENEBRAS LUX」を全面に掲げた大型銀貨は、スイス各カントンを通じても類例が少ない。すなわち本コインは、地理的にも思想的にも孤高の存在であり、単なる地域的稀少ではなく、ヨーロッパ全体の貨幣史の中でも特異な位置を占める。
現存数の推定および市場露出頻度を考慮すれば、実質的な稀少度はR5(現存5〜10枚級)に相当すると評価できる。
条件を満たした未使用個体は、長年にわたりコレクター間で秘蔵され、再出現の機会は極めて少ない。
本品はその頂点に立つ存在であり、ジュネーヴ共和国貨幣の中でも歴史的・美術的・保存的すべての面で“最高位”に位置する標準基準といえる。
鑑定・保存状態コメント
本コインはPCGSによりMS63(Top Pop/単独最高鑑定)の評価を受けた、極めて保存状態の優れた一枚である。
1790年代のスイス大型銀貨は打刻圧や金属質の不均一により、完全な打ち上がりを示す個体が稀であるが、本品はその例外に属する。表面・裏面ともに打刻が深く、主要モチーフである紋章の羽根や鍵の装飾線、放射線条の一本一本が立体的に際立っている。
フィールドには淡いシルバーグロスが均質に残り、角度によって柔らかな反射を返す。裏面の「POST TENEBRAS LUX」の文字は完全に読み取れ、周囲の光条も摩耗をほとんど見せない。特にIHSのモノグラム周辺には微細な金属の流れ(die flow lines)が残存し、未使用個体特有の質感を伝えている。
リム周囲も良好で、打痕や変形は認められない。経年によるトーンは均整が取れており、過度なクリーニング痕もない。むしろ自然な経年の銀白色が全体を包み、歴史的深みを損なうことなく輝度を保っている。
ジュネーヴ共和国の大型銀貨において、このような均整と静謐さを兼ね備えた未使用個体はほとんど確認されていない。
本品は、保存・打刻・審美性の三要素が理想的に調和した基準的存在(Benchmark Specimen)として位置づけられる。
デザインと象徴性
この銀貨の造形は、ジュネーヴという都市の信仰・理性・自由という三つの理念を一体化した構成にある。
表面の紋章は、鷲と鍵という二つの象徴を対置しながらも一つの盾に収め、宗教的権威と市民的自治の調和を示している。これは、教会と市民が共存してきたジュネーヴの政治文化をそのまま視覚化したものであり、宗教改革の都としての伝統と啓蒙期の共和主義が共鳴するデザインである。
これに対し、裏面の放射状の光とモノグラム「IHS (イエスの名をラテン文字で表した古代ギリシア語 ΙΗΣΟΥΣ の略)」は、闇を破る啓示の光を象徴している。銘文「POST TENEBRAS LUX(闇の後に光あり)」は、宗教的再生の標語であると同時に、革命後の新しい政治的秩序を暗示する。すなわち、宗教的救済と社会的平等という異なる次元の“光”を重ね合わせた表現であり、ここにこのコインの精神的深みがある。
オークと月桂の冠は、古代共和政ローマ以来の徳(virtus)と栄光(gloria)の象徴であり、啓蒙期ヨーロッパにおける「理想の共和国」像を具現化している。細部にわたる線刻と対称性の高い構図は、当時のスイス造幣技術の水準を物語るとともに、理性と秩序の美学を体現している。
全体として、この貨幣は単なる経済的媒体ではなく、ジュネーヴが自らの精神的肖像を金属上に刻みつけた象徴的宣言である。
表面に描かれた紋章が「信仰と自治」を、裏面の光輪が「啓蒙と再生」を表すことで、両面が一体となって“自由の光”という都市の理念を完成させている。
この統合的な象徴構成こそが、本コインを18世紀スイス貨幣芸術の最高水準に押し上げている要素である。
1796年のジュネーヴ共和国12フローリン銀貨は、単なる貨幣の枠を超え、思想・美術・信仰の交差点に立つ歴史的作品である。
その意匠は宗教改革の精神を継承しつつ、啓蒙思想の光を金属の上に映し出している。鷲と鍵が示す「信仰と自治」、そして光条が象徴する「啓示と理性」。それらが一枚の銀盤の中で完璧な均衡を保っている点に、このコインの本質的な美がある。
また、発行の背景には、フランス革命後の混乱期においても自らの理想を失わなかった都市国家ジュネーヴの精神的抵抗がある。
「POST TENEBRAS LUX(闇の後に光あり)」という言葉は、宗教的救済を超えて、政治的・文化的独立の宣言でもあった。
本コインはその理念を最も純粋な形で具現化した記録であり、啓蒙と信仰が矛盾ではなく連続として表現された希有な例である。
そして、本品はPCGSによる**Top Pop(単独最高鑑定)**という格付けが示す通り、現存する中で最良の保存と美観を備える。
打刻・輝度・均整のいずれも理想的で、18世紀スイス貨幣芸術の結晶といえる完成度を保つ。
その静かな光沢と、造形の中に潜む理性の気配は、ジュネーヴが世界に示した「啓蒙の都市」の理念そのものを今に伝えている。
本コインは、信仰と理性の狭間で近代を切り開いた都市国家の精神を永遠に封じ込めた、小さな銀の宣言碑である。













